牧師挨拶

牧師挨拶


初めての方へ

「教会にお出かけください」

どなたでも一度や二度、次のようなことを
考えてみたことがあるのではないでしょうか。

「私はどうして存在しているのか
(人生のスタート)。

私ばなんのために存在しているのか
(人生の目的)。

私はどこに向かって生きてい
くのか
(人生のゴール)」と。

このようなことを考えることこそ、人間らしさであり、人間ならではと言えると思います。

聖書に「神はまた、人の心に永還への思いを与えられた。」
(伝道の書3章11節)
という言葉があります。

永遠を思うことも人間ならではです。もし先の問いの答えが「私は偶然に存在し、自分の欲のために歩み、お墓がゴール」だとしたら、心に平安はなくその人生の歩みはむなしいものとなってしまうでしょう。

聖書の答えは明確で「人は世界を創造された神により神の宝(創造の冠)として造られた。
その造られた目的は神の栄光(素晴らしさ)をあらわすためである。そのゴールは神の国である。」と語ります。
人は、聖書を通して神のメッセージであるこれらのことを知り、信じ歩む時、心に平安が与えられ確かな人生の歩みができるのです。
ぜひ、 教会の礼拝や集会へおいでください。神にある幸いな喜びと平安の生涯を共に歩みましょう。
牧師 * 杉本 守


 

クリスチャンの方へ

(教会総会巻頭言より)
神を第一とする幸い
静岡教会 杉本守牧師
「神の国と神の義とををまず求めなさい」
マタイ6章33節のみ言葉

大いなる期待感を持っています。それは、神の国と神の義をまず求めていくときに、必要なものは全て与えられるからであります。
私たちはこの世に遣わされていますが、この世のことでこころがいっぱいになってはいけません。食べること飲むこと着ることなど大切なことですが、
これらを第一にしてはいけませんし、これらは私たちの主人になるものでもなく、これらは礼拝の対象ではありません。
しっかり神を主人とし、神を礼拝し、神を第一に歩んでいきましょう。クリスチャンの生活の土台は神を拝する礼拝です。
世のことが礼拝より優先されてはいけません。一週間の歩みは礼拝の上に成り立っていきます。
毎日の歩みはデボーション(聖書を読み、祈る)の上に成り立っています。礼拝やデボーションをおろそかにしたり、二の次にしたりしては神の祝福を得られませんし、信仰生活の土台がしっかりしていなければ平安な歩みはないのです。
不安や恐れにあるとしたら、その週の礼拝のみ言葉やその日のデボーションの御言葉が忘れられているに違いありません。
一羽の雀さえ、心に留めて養っておられる主が、神を第一とする者を喜びその必要を知っていてくださり、豊かに満たして下さるのです。
この種の約束を信じ、私も共に体験していきましょう。